季刊「羅針」と出版物のご案内

季刊「羅針」vol.15の中身をご覧いただけます

立ち読みコーナー

パリ・旅するエッセーコンテスト

羅針大賞作品発表!

羅針では2006年3月10日発売のvol.12から2006年10月10日まで、パリのエッセーを大募集しました。テーマは「わたしのパリ――もしパリで1か月間ロングバケーションをするなら、あなたは何をして過ごしますか?」 多数の応募作品が寄せられ、編集部一同、感謝の気持ちでいっぱいです。そんな数々の作品のなかから羅針編集部にて5通の大賞候補作品を選ばせていただき、そのなかから特別審査員である女優の真野響子さんに大賞作品を選んでいただきました。

第1回羅針大賞

ペンネーム 恵さん
(千葉県・36歳・会社員・女性)

タイトル 「鍵」

一杯のエスプレッソで長居してもOKなのがパリのカフェ。自分だけのお気に入りのカフェを見つけて。Photo: Tomoko Yasuda

冬支度をすませた夕暮れのパリ。これからの季節は特に、昼間とはまた違った美しい姿に心がうばわれる。Photo: Tomoko Yasuda

第1回羅針大賞受賞作品

ペンネーム 恵さん
(千葉県・36歳・会社員・女性)

「鍵」

「ボンジュール・ムシュ。」
蔦の絡まる石造りの館。にこやかに佇む初老の男性に努めて愛想良く声を掛ける。彼は、「なんて大量の荷物なんだ。これを君が一人で運んで来たのかい?」と笑いながら私の手からスーツケースを受け取ると、頬に軽く挨拶のキスをする。少しドキリとする。エレベーターのドアは開けて待つ。どうぞと先を譲られる。目的の階に着き、エレベーターで「開く」のボタンを押して待っていると、貴女が先に降りなければ私が降りられません。と云われた時には、ハッとした。ここは、パリなのだ。案内された部屋は、茶の家具が配された落ち着いた感じ。何よりも窓から美しい広場が見える。この窓辺に花を飾ろう。荷解きも早々に、私は出掛けることにした。先刻のムシュの「どちらへ?」の問いに、ちょっとそこまで、と告げて雨上がりの濡れた石畳に歩を進める。この街の匂いが、空気が、鼻腔をくすぐる。そう、少し湿り気がある方が良い。カラカラに乾燥した風は、私の鼻をもカラカラにする。

 

一番近いメトロの駅まで歩いて五分。切符は買わずに一ヶ月用のカルト・オランジュ(※)を購入。添付された顔は少し澄まして映っている。八号線に乗ってパリの地下を移動する。様々な人々が乗り降りする車内。ブルーの硬いシート。ドアは自動では開かない。駅に着く手前からボタンを押して、着くか着かないかといった列車が未だ動いている時にロックが外れて開く。これが結構楽しい。地上に出ると風が冷たい。冬はすぐそこまで来ている。練兵場であった広場を歩くと目前にはもちろん、パリの象徴ともなってしまった建造物、エッフェル塔。グレーの曇り空にこげ茶色の塔が、なんだかとても良く似合う。

 

天気が悪いことが幸いしてか、展望台へ昇る切符売り場は、それほど混雑していなかった。エレベーターを乗り継いで上空へ。扉が開いた途端に冷気が身体を包み込んだ。ストールを肩から巻きつけてもまだ寒い。それでも、ここからの眺望は、それは美しかった。雨ははからずも都市のホコリを洗い流してくれたようだった。金網越しに見る街。丘の上には白いサクレクール寺院、威風堂々の凱旋門、ノートルダムにルーブル、モンパルナスタワー、そして遥かに高層ビル。セーヌの川面が、雲間から差し込む日の光に反射してキラキラと輝く。

 

この一ヶ月間、私は忙しい。手帳にはスケジュールがぎっしり書き込まれている。ディープインパクトが疾走したロンシャン競馬場があるブローニュの森やヴァンセンヌの森。著名人達が眠る墓地。様々な時代の建築美を見せてくれる教会。「ダヴィンチ・コード」で撮影が許可されたルーブルをはじめとする美術館に博物館。歩き疲れて一休みするカフェや公園。足を運ぶべき場所は幾らでも在り、またその何処をとってもバックストーリーが存在する。「今」ではなく、「過去」を紐解く旅が私は好きだ。

 

眼下の街に灯りが灯り出す。美しい街の美しい夕暮れ時。昂揚する心とは裏腹に身体の方は冷え切ってしまった。ポケットに手を入れると、冷たい金属に触れる。鍵だ。古びて使いこまれた鍵。スキップをしたい気分。さあ、花を買って部屋へ帰ろう。

 

(※)1週間あるいは1か月間利用できるメトロの定期券。カードに顔写真を貼る必要がある。

真野響子さん講評

コンテストの特別審査員を務めていただいた女優、真野響子さんに、羅針大賞受賞作品について、コメントをいただきました。

恐らく、パリを良くご存知か、勉強されている方なのでしょう。  臨場感のある文章で、まるでパリを一緒に歩いているような気がしてきます。あらゆる視点からパリを見つめ、味わいたいという思いは、一ヶ月の「滞在」をより有意義なものにしてくれることでしょう。ギッシリとつめ込んだスケジュールも良いのですが、のんびりと一日中同じところにいて、時や人の移ろいを感じることも、是非お勧めしたいのですが、いかがでしょうか。

 

真野さんから直筆の講評をいただきました。

真野さんがおすすめするのは、美術館をじっくり楽しむ滞在スタイル。
モネやルノワールといった印象派の作品が多いオルセー美術館もおすすめのひとつ。 Photo: Tomoko Yasuda

真野響子さん
(まや・きょうこ)

1952年東京生まれ。桐朋学園大学芸術学部演劇科卒業後、劇団民藝に入団。数々の映画、テレビ、舞台に出演し、人気を集める。女優以外の活動も幅広く、1993年から2年間、NHK教育テレビの「日曜美術館」(現、新日曜美術館)の司会役を務めたことは有名。2004年には夫で俳優の柴俊夫さんとフランス観光親善大使を務めた。また新潟県で3年に1度開催されるモダンアートの祭典「越後妻有アート・トリエンナーレ」にも初回より参加。

真野響子さん

文章は書くのも読むのも好きという真野さん。大賞作品も、じっくりと読んで決めてくださいました。 Photo: Kumiko Kosugi