2006年10月から2007年6月まで正味8か月間、ポルトガル語の勉強に勤しみました。2006年8月に当地に着いて1か月もしないとき、大使館の方から、「せっかく長い生活ですから、少しは会話も習っては」というさりげない言葉とともに、「ポルトガル語無料講座、10月から」という案内を渡されたのです。
リスボン市内の観光市電の主役「28番」は、カモンエス広場から市内をぐるっと半円描きならマルチンモニスまで、乗りっぱなしで40分ほどかかります。その中間にグラッサ広場駅があり、華麗なルネッサンス様式のサン・ビセンテ・デ・フォーラ教会の隣に当たります。下町グラッサ広場駅から歩いて3分、そこに講座が開かれるジル・ビセンテ高校があり、毎週月曜と水曜の夜9時から10時半まで通いました。10月開講とはいっても、結局最初の授業が開始されたのは10月30日でした。
40人近くの生徒で埋まった教室で、開口一番、担任のアナ先生はべらべらっとガイダンスらしきことを喋りはじめました。びっくり仰天しながら思わずまわりを見回して、又もや驚き倍増。我々夫婦以外の生徒全員、聞き取れているようなのです。ここは確か「初級」、すなわちだれもが喋れない、これからの人たちのクラス、のはず。そうだったのは、どうやら私たち夫婦だけのようだったのです。
初級クラスのはずだったのに…
「コピー代として、1冊5ユーロ次回持ってきてください」とアナ先生。アナ先生苦心の編集教科書、「会話編」と「文法編」の2冊。
世界各国の人々がクラスメートに
インド人が8人ほど、中国人が10人、ウクライナ人が3人、日本人が我々に加えて途中から増え、いちばん多いときで7人になりました。さらにモロッコ人、イギリス人、ドイツ人、スペイン人などもいました。彼らはみんな、就労ビザを持って、こちらで働いている人々ばかりです。先生の最初の演説は、その就労ビザや滞在証明のコピーを次回持参するようにとのことだったのです。授業料がタダということは、当然政府からの資金援助でこの講座は運営されているわけで、不法滞在者は論外なのです。
生徒の仕事がどんなものか、分かりにくいのですが、ウクライナから来たひとりは、専門技能を持つ電気工だといっていました。インド人のうちの4、5人はいつもまとまってバンで来ていましたから、仕事が一緒の仲間なのでしょう。ひとりだけだったモロッコ人は、奥さんがポルトガル人で、授業途中で国籍と運転免許が入手できたと、とても喜んでいました。
ですから、彼らは生活と仕事に必要なポルトガル語は理解できるのです。耳も勘も鋭く、新しい言葉を1回聴けば、即繰り返して反応してきます。では何故彼らはここに? 読めない、書けないのです。先生の指示で教科書を読みはじめると、急にみんな小学1年生状態になり、目を下に向けてしまいます。名指された生徒が黒板に書かされます。書ける人はごく僅かです。その段になると、俄かに我々が注目されたりします。モロッコの青年は、よく先生の目を盗んで、我々のノートを写しに振り返りました。授業が進むに連れて、彼は辞書を買い求め、宿題もノートに書いてくるようになり、その変化は早いものでした。
女房は学生時代の残りカスのロシア語を口にして、閉鎖的だったウクライナ人が突然ぱっと心を開き、大いに和むひとときもできました。
モロッコ人とその奥さんをアパートにお招きして。彼と知り合ったことがきっかけで、モロッコに2度も足を向けることに。ベンフィカの今季最終戦をスーパーシートで見られたのは彼女のお陰でした。さらには、6月の引越しでも彼らが何もかも手伝ってくれました。
女房はポルトガル語で日記をつけはじめ、その添削をアナ先生は毎回ていねいにしてくれました。「タビラに行かれたんですか? ここは私の出身地で、今でもお婆ちゃんが住んでます。小さいけど住み心地のいい町です」と、とても懐かしがってくれたりもしました。
