各国ロングステイヤーからの現地レポート
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カナダ 気が付けば37年のロングステイ
私がカナダでボランティアをはじめるまで

大河内南穂子さん(バンクーバー在住、コスモス・セミナー主宰)2007年2月1日掲載

皆さんはじめまして。私、大河内南穂子がこれから、カナダでロングステイをエンジョイしている人たち、街、文化、そして美味しいお店などを、このブログで紹介してゆきます。どうぞよろしくお願いします。まずは30年来の親友ナンシーさんに私のことを質問してもらい、自己紹介といたします。

ナンシー(以下N):南穂子さんは、どうしてカナダを選んだんですか?

大河内(以下O):1970年、当時の日本では時計の気になる余裕の無い忙しい毎日でした。1歳の娘連れでの異文化体験をするなら、自然環境抜群の街に住みたいと単純な動機から飛び出してしまったんですよ。

N:はじめてバンクーバーに降り立ったときの印象は?

O:今では考えられませんが、空港の周りはのん気な牛が牧草をゆったり食べていて、建築の設計士だった夫は、余りにも高層ビルが少なくてガックリでした。それほどスペースの豊かな肥沃な土地が、見渡す限りいっぱいに広がっていましたから。

渡加してしばらくの間、ダウンタウンのウエストエンド地区のアパートに住む。毎日散歩した近くのスタンレー公園。(1970年)

同じアパートで仲よくなったドイツ系一家とウイスラー近辺へハイキング。

N:カナダに誰かお知り合いの方はいらしたのですか?

O:いいえ、右も左もわからず、身内も全くいませんでした。でもバンクーバーに住んでみると、周りの人々のオットリしたあたたかさを感じはじめたんです。

N: バンクーバーならではの人の優しさ、あたたかさを感じたのですね。

O: はい、だからといって決して必要以上にプライベートなことには踏み込んでこない所が、サッパリしていて居心地よいと感じました。でも本当に困ったときにはサット手を貸してくれるんですよ。1日、1日過ごしている内に、どんどんこの国の生活が肌に合って来て、他人の目を気にせず自分らしく過ごしていることに気が付いたら、いつの間にか37年!

N:英語はもともとできたのですか?

O:もちろん! といいたいところですが…。来る前は少し自信があったんですが(苦笑)日本で学んだ教科書英語では、ほとんど通じませんでした。どうしようもないので身ぶり手ぶり、イラスト入りのメモで大奮闘いたしました(笑)。出会ったカナダ人は皆優しくて、私が必死になって伝えようとすれば時間をかけて気長に聞き取ろうと努力して下さいました。その後YWCAの英語クラスに入って学びましたが、そこでも多くのよい出会いがありました。

BC州の首都ビクトリアまで水上飛行機で飛び、観光局のPRナレーション(日本向け)を録音。スタジオはリラックスムードだった。(1986年)

バンクーバーの有料TVが開局した際は総合司会者に抜擢された。元英国BBC放送局アナウンサーのインド系カナディアンのベテランと共に、打ち上げパーティでの記念撮影。(1989年)

N:ボランティアを早くからはじめたようですね。

O:子供の学校に行って生け花、折り紙、和食や日本玩具の紹介を試みたら大ウケでした。当時はバンクーバー郊外の家に住んでいたので、多分皆さんには珍しかったのでしょうね(現在はバンクーバーの南、スティーブストンに暮らす)。その頃は日本車がボチボチ登場しはじめた頃で、日本と中国の違いもわからない生徒が多く、突飛な質問に答えるのに苦労しました。最新の情報誌を取り寄せて回覧したりして正しい日本のPRに努めました。元々、白地に赤い日の丸と同じ、楓の紅白がカナダの国旗ですからね、仲よくしたいと強く思っていました。

N:全て順調なカナダ生活のようですが、何か失敗したことはありますか?

O:もちろんアワテ者なので何度もあります(笑)。街角で車椅子の方を助けようと重い扉をヨイショと押したつもりが「止めて、自分の流儀でやれるから」と、はっきり断わられたときには「なるほど」と反省。当時習っていた英語クラス全員をランチに招いたときは「何をお飲みになりますか」と、伺うべきところを、いきなり濃い緑茶にし、それこそ渋い顔されてしまい大失敗の巻でした。

N:どうしたらカナダでロングステイをたのしめるか、アドバイスをお願いできますか?

O:興味のあることには好奇心を持って何時でもどこにでもお出かけなさったら素晴らしい出会いが待っていると思います。ここにも多くの日系の県人会、スポーツ同好会、同窓会やコーラスがありますし、アウトドアスポーツは特に盛んです。私はフェリーで島巡りをしたり、近くのコミュニティセンターで毎週、ダンササイズNYで思い切り飛んだり跳ねたり大いにたのしんでおります。今は健康ブームで日本レストランも多く、和食の食材にも困りません。NHKのTV番組も受信可能の時代で、昔のことを思うと随分快適に暮らせます。

BC州立のサイモン・フレーザー大学(SFU)、ダウンタウンキャンパスでの講座は小道具を使ったたのしい講義。(2000年頃)

SFU大学での講座は10年間続き、あいさつ、名刺の交換、電話の取次ぎ、面接、訪問そして和室での座り方やマナーなど文化を通じて日本語を指導した。

N:南穂子さんのこれまでのカナダ暮らしのハイライトは何でしたか?

O: ハイライトだらけです(笑)。まず自分で夢を叶えたフラワーデザインの講座、日系女性の会をいくつかはじめたり、日本語TV番組の司会、国営ラジオのレポーター、日系新聞の取材では、普通ではお目にかかれない方ともお話でき、とても楽しくて勉強にもなりました。本(「瞳からの旅立ち―映画『二十四の瞳』の子役小ツルが綴る、その後の四十年」四国新聞社刊)も出版できましたし、BC州立大学で10年も日本語の講義をするなんて日本に居たら思いも寄らないことでした。

N:最後に現在、南穂子さんが最も力を注いでいることは?

O:「コスモス・セミナー」と「話し方のコーチング」です。コスモス・セミナーの活動は2007年で7年目になりますが、生涯学習の場として日系女性が受講できる知識の宝庫。毎回、次回の開催が待ち遠しい、和やかでたのしい集いです。話し方のコーチングは企業、グループ、個人などが対象です。毎日、皆さん歯磨きはしても言葉磨きを忘れているでしょう。言葉はコミュニケーション時代の強力な道具ですから、しっかり磨き上げていただきたい。受講者が変身して行く過程が面白いんです。「南穂子さんと知り会えてトクしたぁ!」っていって頂くとますます燃えます! 「出来る時に出来る事を」がモットー、すてきな仲間と人生の旅を続けたいです。

地元日系グループ「歩こう会」でアメリカのベーカー山に行った時。真夏でも山頂付近には雪が残っていた。(2000年)

コスモス・セミナーは既に7年目になり、内容も充実し会員の知識は一段と増した。地元コミュニティへのボランティア活動にも積極的に参加している。

大河内南穂子

大河内南穂子(おおこうち・なおこ)プロフィール

1970年、夫の仕事の都合により3年だけの予定で東京から1才の娘を連れ、誰も身寄りのないバンクーバー国際空港に降り立つ。好奇心旺盛な性格から、カナダで異文化に触れ、人々と交流する愉しみを見つけ、以来気が付けばカナダ在住37年。現在、多くの異文化が共存するカナダでの生活を有意義に過ごす日系女性の集い「コスモス・セミナー」主宰。地元国際TV局のアナウンサー、BC州立サイモン・フレーザー大学(SFU)で日本語を教えた経験を活かし、近年は話し方のコーチングの講師として個人、企業向けにレッスンをおこなっている。
コスモス・セミナー
BC州観光局